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4.上半身裸でスラストするがコイトス不可

 私が初めて保健教師の家を訪ねて、その帰り、玄関口でネバった時間は30分くらいだろうか。
 翌々日だかに保健教師の部屋に入って、私たちが唇を重ねるまでも30分程度だったろう。この重なり合う時間帯を相手に告げれば、これは予告となり予言となり、より相手を縛る力になるのだ。
 保健教師も再度、私を部屋に上げた時点で、その先の展開を想像したのは間違いない。私は逸る心を抑えて、冷静に、語り、騙り、話をした。タバコを吸いながら。既に灰皿は用意されていた。共犯どころか教唆でもあろう。しかし、そんなところを突っ込んでも何にもならない。私は保健教師に近づいていった。そこに首があったが耐え、肩があったが耐え、胸があったが耐え抜いた。指を結び、唇だけで相手を制圧する。これが当初の方針である。
 ものの数分で私ははち切れんばかりに勃起した。そして遂に保健教師の胸に手をあてた。細身の保健教師のさして大きくもない乳房であるが、それは、これから見ることが出来るかも知れない期待と、シャツの生地を通しても判る柔らかさで私を幻惑した。彼女は私の手首をつかんで、唇を離すと、小さく「だめ。」と言った。「だめよ。」と。しかし私の手首をつかんでいる手に力はかかっていなかった。私はシャツの裾からその乳房という未踏峰を狙って少しずつ登っていった。私がもう少し経験不足だったら先に上り詰めてしまったかも知れないが、それを堪えるくらいの甲斐性はあったようだ。
 保健教師は「待って。」と言うと、起き上がって自分でシャツを脱いだ。薄桃色のブラジャーと、肩から鎖骨へのラインがそそる。そして背中に手を回してブラジャーも自分で外した。上半身裸になって、下はスカートのままだ。そして言った。「下は脱がないから、これ以上はだめだからね。」と。生理だからか処女だからかはわからない。しかし、目の前にある乳房を放っておく男子高校生もいるまい。私は乳房に突撃し、保健教師もここまできては男を抑えられないと知ったか、ペニスへと手を伸ばした。
 最初はジャージの上から握られた。が、すぐにそれは脱がされ、トランクスの上からなぞられた。部屋にはクーラーがかかっていたが、私のもみあげからは汗が垂れ、そのくすぐったさをかき消すように首をねじ上げてTシャツを脱いだ。上半身裸の保健教師に男根を弄ばれている構図は、まさに禁断の果実。意を決したように「見せて。」と紅潮した彼女が私に吐息で伝えた。まさにデンギってる男根。今でこそアダルトビデオが隆盛で、女が唾液を垂らしながら手コキする場面も増えたが、その頃はフェラチオどころか、そんな前戲さえ拒む女もいたのである。が、保健教師は拒まずに握ってスラストさせた。これぞ昭和後期のグリップガールである。「うぅ待って。」と今度は私が言うハメになった。しかし、「いや。」と彼女は言って、私はイッてしまった。ドガッと、第一弾は天井をかすめてカーテンに着弾した。更にビシッと、保健教師の髪に刺さり、パシュッとふとんへ、ピュッと絨毯へと放出された。
 私は放心する間もなく、保健教師に唇を奪われて、抱き合った。背中にヒヤッとふとんに飛んだ精液が粘った。しかしすぐに気にならなくなり、程なくして私は再び保健教師のスラストに負けた。彼女の胸やスカートに精液を飛ばした。そして最初は優しく触っていたつもりの保健教師の乳房が、私の両手で強く握られて赤く色づく頃、三度、公園の水飲み場でちょろちょろ出ているような噴出を迎え、わずか一時間足らずで部屋は背徳の匂いに包まれてしまっていた。
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3.保健教師と甘い罠

 その後、バスで宮島の厳島神社に向かったものの、外出禁止なので、私は保健教師と宿へ直行。夕飯まで部屋で待機させられていた。誰も戻ってこないし、保健教師がお茶ぐらい飲んでもいいでしょと言うので、ロビーでコーヒーフロートなぞ飲んでいたが、さすがにタバコは吸わせてくれなかった。
 「ふふん、代わりにおっぱい吸わせてよ。」と私が言うと、保健教師はみるみるうちに真っ赤になった。

 遡ること約三ヶ月前、一学期の終わりの日だった。終業式最中に具合の悪くなった同級生を連れて保健室に行くと、保健教師は同級生をベッドに寝かせて、テキパキと氷枕を作ってあてがった。そして私には缶コーラをくれた。350mlの太い缶ではなく、250mlの細い缶だったような気もするが、気のせいかも知れないし、それはどうでもいい。
 「先生は帰省しないの?」と訊くと「適当に帰るわよ。」とつれなくされた。「帰る前にデートしようよ。」と続けると沈黙。横になっている同級生に聞かれるわよとでも言いたげな表情。「なんだ、ショックだな、夏休み、何を楽しみに生きればいいんだ。」と更に言うと、珈琲ぐらいならつきあってもいいと小声で言うのだ。私は保健教師の耳元で「今晩電話します。」と低音で言って、同級生に聞こえるように「奴をお願いしますね。」と声を張ってみたが、カーテンの向こうからは反応がなかった。
 週に何度か保健室に行くようになったのは、部活動でもクラスでも世話役みたいなことを買って出てからのことだったが、通って一年も経つ頃には、保健教師が私のことを少しは特別扱いしてくれているなぁと気付くようになっていた。その頃は個人情報垂れ流し(でもないと思うが)学校丸ごとの名簿が全教員と全生徒に配られていたので、私は夜になると公衆電話まで行って、あっさり保健教師と会う約束を取り付けた。
 保健教師は、高校まで電車を使って4~50分のところに住んでいたが、万一の人目を畏れて自分の部屋に私を招いた。保健教師は私に昼食を振る舞ってくれた上、約束通り、珈琲も入れてくれた。が、手碾きのコーヒーミルで、豆を砕いたのは私だ。あと一歩。私は延々と保健教師を持ち上げていたし、黙ることなく次々と話題を振り撒け、彼女を笑わせたり考えさせたりした。で、タバコを一本だけ吸わせてくれとお願いしたら、保健教師は躊躇せず灰皿を出してくれたので、これで共犯と私は思った。
 帰り際に、靴を履いてから、ここだけしどろもどろ風に「握手してもいいでしょ。あと、また来てもいいかな、いやダメだよね、でも来たいんだ」というようなことを告げて、手を離さないまま、秘密でならね、と言質を取った。「秘密の証にキスしてよ、軽い奴。」と私は言ったが、ここで彼女が断れるくらいなら、既に途中でぶった切っているだろう。畳みかける私。「もう一回。」「オレからしてもいい?」「もう一回だけ。」まぁ保健教師は悪くないだろう。あくどいのは私であって、それは当時から気付いていたし、手法も自ら編み出したつもりになっていたのだ。もっとも自分でも我慢できそうになくなってから、あえてその日は帰るというのは辛かった。しかしそのコントロールが出来なくては20代半ばの女と対等には張り合えないだろう。

エノク書より後のアリオク

 「エノク書」と聞いて、なんか引っかかる物があって記憶を辿ると、その昔、パスカル文学賞というものがあって、そこに応募されていて、読んだことのある復讐譚のタイトルだった。ネットで検索すると「エノク書より後のアリオク」というタイトルまでは確認できたが、中身を読むことは叶わなかった。
 たしか、その前年か前々年にダンボールというハンドルの参加者が糾弾されて、朝日ネットから追放されていて、そのエノク書の人も、なんで聖書外伝偽伝を題名に使うんだボケとか叩かれていた。
 私がそのタイトルを覚えていたのは、PCエンジンゲームの邪聖剣ネクロマンサーをやりこんでいたからである。アリオクは敵にすると恐ろしい奴だった。聞けばエノク書の前と後ですっかり変わってしまったと云う。

2.原爆ドームを見せない教育なんて許されるのだろうか

 学年主任は、私を目にすると「簡潔に顛末を説明せよ。」と言った。私は「バカ教師が張り切ってジュース缶を酒だと疑って、読んでいた雑誌を奪ってデッキに向かって挑発されたので、それに乗ったふりしてバカ教師の肩を押して、奴を名古屋に置き去りにした。」と伝えた。学年主任は「とりあえず今夜は外出禁止。あとは追って沙汰する。」と言った。そして添乗員を呼び出すと、名古屋のバカ教師に連絡を取って、次の新幹線に乗らせて、どこかの駅で新人添乗員と合流させ、ひかり号で先に広島まで向かわせるというようなことを相談した。携帯電話もない時代である。新人添乗員は青い顔をして手筈をメモっていて、このときばかりは、私は申し訳なかったと心底思った。そこで私は「お手数かけてすいません。」と新人添乗員に謝ったのだが、ベテラン添乗員が「いや、トラブルがないと仕事覚えられないから気にしなくていいんですよ。」と優しい言葉をかけてくれて、この人はプロだと思った。そしてバカ教師が戻ってきたら、この人の前で土下座させてやろうと心に誓った。
 座席に戻っても良いと許可が出たが、どうにも気分が悪い。周囲の奴らは状況を見ていたので、バカ教師が挑発してきたところは見ていたから特に問題はなかったが、名古屋に置き去りにされたバカ教師をかわいそうとか、ひどいとか不細工女子が言っていてムカついた。が、そこで怒鳴ったりすると問題が大きくなるので、回ってきたコークハイなどをすすりながら静かにしていた。少し酔ってよだれを垂らしながら寝たりしていた。
 ひかり号で先回りしていたバカ教師は激昂していたようだが、私とバカ教師を会わせないように、私は別の車両から降ろされた。一団が、その後バスで移動して原爆ドームを経由し、宮島に向かったのだったと思うが、私は外出禁止のため、バスの車窓からドームを眺めたに過ぎなかった。
 バスガイドは生徒の引率で、運転手もバスを降りていた。私の見張り役は保健教師がついて、彼女は当時26才だった。見張りを命じたのは学年主任だろうが、嗅覚が甘かった。保健教師はなだめ役にはなっても、見張りにはならないのだ。もっとも私は逃げ出すつもりもなかったのだが。
 保健教師は、一番後ろの席でふて腐れている私の隣に座ると、手を重ねて「そんなにいらいらしちゃダメよ」と言った。火照った私にはひやりと感じたてのひらだった。

1.朝日ジャーナルとバカ教師

 ちゃんとした「誰か」が、「正しい」と思われる方向に導いてくれるのであろうと、暢気にも思っていた25年程前。四半世紀経ってみると、当時の私から見たとしても「めちゃくちゃ」としか言いようがない。しかし、こんな現在の状況をあえて作り出した勢力がいるということを考えなくてはいけない。

 あれは高校二年の秋だったと思う。と言えるのも、今はなき朝日ジャーナルの特集が自民党総裁選(予備選?)だったからだ。修学旅行の新幹線の座席で、ハゲ中曽根、社長河本、ボケ安倍、クマ中川らについて書かれた記事を読んでいたのだ、缶ジュースをすすりながら。
 当時のこだま号で、もうすぐ名古屋に着く辺りだった。旅行でテンションがあがったのか、副担任がその缶ジュースに難癖をつけてきた。酒でも入ってるんじゃないのか? と。アホか。と相手にしないでいると、そのバカ教師は私が読んでいた朝日ジャーナルを取り上げて、デッキの方に向かっていった。頭に来た私は追いかけていった。
 新幹線は名古屋に到着し、停車時間は1分と告げられた。何人かの生徒が、乗車口脇で言い合いをする私とバカ教師の脇をすり抜けて、ホームの売店へと向かって行った。バカ教師は当時20代後半だろう、出身校で講師をしながら、やっとこさ教師になれて浮かれていたのかも知れないが、そんなこと生徒には関係ない。
 言いがかりをつけられた私は、前々からそのバカ教師の偉そうな物言いにムカついていたので、発車ベルが鳴り終わった瞬間に、ぐいっとバカ教師を新幹線から押し出してやったのだ。途端に閉まる自動扉。あの時の間抜けな顔は何年経っても忘れられない。バカ教師は焦って走り出そうとしたが、後ろを振り向いて、すぐに車内からは見えなくなった。
 何人かの生徒が気付いて笑っていたが、これは処分必死だろう。私は仕方なく担任の座席に行って、バカ教師が名古屋で下りたことを伝えた。担任は表情を堅くして学年主任のところに私を連れて行った。
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